心の旅:生きやすさを求めて

HSP/アダルトチルドレン/毒親育ちな私の自分史と乗り越えてきた記録

その1<生い立ち~幼稚園>環境コンプレックス ♯振り返り

今回は、自分が育ってきた環境と自分が抱いてきた感情を

綴りたいと思います。

自分自身を見つめ直す、人生の振り返りになります。

長くなりますがよろしければお付き合い頂けますと嬉しいです。

 

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【生い立ち】

 

私は、関西の地方で3兄妹の長女として生まれました。

家族構成は 子供時代は父、母、弟、妹の5人家族です。

 

私は大人しめな性格で、父(6人兄弟の長男)と母(一人っ子)

の一人目の子供だったため、祖母祖父からの期待が大きく、

またその当時の田舎らしく、父方の「長男思考」が強い家でしたので

初孫の私が女だったことで母が祖母から大層文句を言われたそうです。

 

この件も合わさって、もともと折り合いが悪かった父方の祖母と母は

疎遠になっていき、お正月やお盆の父の実家に帰る際に

母が一緒だった記憶はありません。

また私自身も、父の実家に良い思い出があったか記憶をたどってみても

思い当たりません。

特に嫌だったのは、父が6人兄弟ゆえに、下にイトコがたくさんいるのですが

みんなで集まった際に、大人が1階のテレビで相撲を見ていて

子供はみんな2階で遊んでこいと言われるのですが(約6~10人)

その2階で、やれケンカだとか誰それが頭ぶつけたとか、おもちゃをとられたとか

そういうことがあると全ての責任が何故か私にあり、

「お前はなぜ面倒が見られないのか」と怒られていました。

 

年の近くない仲良くもない暴れまわるイトコの男の子たちを

なぜ面倒みないといけないのか、そしてなぜ私だけが怒られるのか

理解できず、憤りを感じたことを覚えています。

 

そういった経験により、私の中で

「子供は言うことをきかない、自分にとっていいことがない」

という価値観が生まれ、「子供嫌い」に繋がっていきました。

 

 

父方の祖母の家では、「女だから」「お姉ちゃんだから」という理由で

いろんなことが他の人よりも後回しで、良い思い出がありません。

可愛がってもらった記憶もなく、ただ行きたくないと拒否すると叱られるので

義務感と、お年玉がもらえるから、という理由で行っていました。

お年玉にもエピソードがありますが、そちらについては後に語ります。

 

 

母方の実家についても一旦あとに回しまして、

子供時代について書いていきます。

 

【子供時代~幼稚園頃】

住んでいた家に関しては、

生まれたとき:平屋

→幼稚園が遠くて通えなかったため:団地に引っ越し

→小3で親が家を買い:となりの市へ転校(その家で中3まで)

といった感じでした。

 

うっすら記憶のある団地時代から書きます。

当時、同じ幼稚園で仲良くなった女の子の友達のグループがありました。

家も近かったので、その子たちと毎日のように遊んでいました。

 

その子たちの家に遊びにいったときにすごく思ったのが、

(家の中がテレビで見たおうちみたいに片付いてる~!)

(歩くときに床にモノがたくさん落ちてない~!)

と思ったことでした。

当時から、住んでいる家が片付いているのは見たことがなく、

母は典型的な「片づけられない人」だったと思います。

 

また、友達の中で特にお世話になっていた家族が2家族あり、

仮にAちゃんとBちゃんとしますが、

その子たちとそのご家族には、たくさんのことを教えてもらいました。

例えば、

「お友達のおうちに来たら、お邪魔します、って靴そろえるんだよ~」

とか、

「帰るとき お邪魔しました、って言うんだよ~」とか

 

「ごはんを食べるときは手を合わせて「いただきます」って言うんだよ~」などなど、、

 

また、当時の私とAちゃんとでお友達の家に向かうマンション内のエスカレーターで

<不審者に2人ともお尻を触られるという児童痴漢事件>に遭い、

警察も来て大変怖かった記憶があります。

その際にもAちゃん、Bちゃんのお母さんが泣いている私を

ずっとなぐさめてくれて、「怖かったね、もう大丈夫だよ」と

まるでお母さんのように私を扱ってくれて

そんな風にされた記憶がなかった私はびっくりしたのと

すごく安心してたくさん泣いたのを覚えています。

 

一番感謝しているのが、当時6歳の私が

お箸をバッテンにしか持てなかったのに気づいたAちゃんのお母さんが、

連日ごはんを食べさせてくれて、お箸の持ち方をできるまで

根気よく教えてくれたことです。

 

そういった、今思うと<社会常識では当たり前のこと>を

家や親から教わること、感じることができなかったので、

お友達とその家族から優しくたくさん教えてもらいました。

この出来事たちはいまだに覚えているし、

今思うと、初めて感じた<他人からの愛>だったな、と思い

本当に感謝しています。

この幼馴染のグループはみんな本当に良い子たちで、いまだに仲良くさせてもらっています。

 

 

こういった記憶から、ごく一般的な家庭環境ではなかったと思われます。

その頃の私は、母と過ごした記憶はなく、

また褒められたりといったことも記憶にありません。

気づいたときには帰ったら兄妹の面倒を見ていました。

 

<外に友達と遊びに行っていた><家のことをしていた>

この比率が、小学校に入るとだんだんと変わっていき、

後者の方が多くなっていったように覚えています。

 

次の記事では、小学校時代のことを書いていきたいと思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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