心の旅:生きやすさを求めて

HSP/アダルトチルドレン/毒親育ちな私の自分史と乗り越えてきた記録

~気づき~ここまで振り返ってみて

振り返るまでの私は、

「子供時代に楽しいことなんてほとんどなかった」という思いを持っていました。

しかししっかり振り返ってみると、

私が憧れていた、そして忘れていた

<子供らしく過ごした自分>

<誰かに愛を与えてもらっていた自分>

がいた、そんなことがあったことを初めて自覚しました。

 

今までは、

<子供らしく過ごせなかった>ことへの怒りが強すぎて

気づけていなかったんだなあ、、と。

 

また、私の性格として、失敗経験が多く

肯定的なことを日々言われなかった、

親からは私自身のことでは否定的なことしか

言われた記憶がない環境だったので

物事のとらえ方が、ネガティブに結構偏っているかもなぁ~

と、自分の文章を見ていて思いました。

 

また、このあと出てくる唯一信頼できた大人の、中学校のT先生

以外にも大切に扱われてきたことがあったんだなぁと感じられました。

 

常識を教えてくれたAちゃんとBちゃんのお父さんお母さん、

人との関わりの楽しさを教えてくれた英語教室の先生、

不安定な私に寄り添って励まし続けてくれた絵画教室の先生、

うまくできなくて困っているのを助けてくれた学童の先生

 

ここまでだけでも、血がつながっていなくて もはや名前も覚えてなくても

してもらったことは覚えているなぁと、

<大切に扱われる>というのが私の中で新鮮すぎて

感じたうれしかった気持ちが、いまだに覚えているなぁと感じられました。

 

ちゃんと振り返るって大切ですね。

辛かった出来事の方が記憶を占めていたけど、

楽しいことも含めて、自分自身だったと思いたいから

思いつくままありのままだけど、振り返っていきたいと思います。

 

 

 

その2<小学校>環境コンプレックス ♯振り返り

こんにちは。開いて頂いてありがとうございます。

自身の人生、家庭環境について振り返っています。

 

その1から読んで頂けますと幸いです。

 

【小学校・団地時代】

幼稚園~小学校3年の1学期までを団地で過ごしたので

小学校も幼稚園の友達と同じで、ふんわり楽しかった記憶があります。

当時の私はとにかく体が小さく、背の順は常に一番前でした。

またクラスの友達にも恵まれ、

幼稚園からの友達グループに誘われて、習い事に行ったりもしていました。

送り迎えは他のお母さんたちに送ってもらっていました。

・体操教室(運動神経悪すぎ、跳び箱飛べず挫折)

・水泳スクール(泳げなさ過ぎてクロールができず挫折)

・英語教室(引っ越す前の2年生までは行ってました、ボランティアの先生)

・絵画教室(その後中3まで)

 

久々に思い出してもこの頃から運動神経が悪かったのか、、と思いました。

当然、当時も今に至るまで、自力で逆上がりは出来たことがありません。

 

英語教室は何も身にはなってなかったけど、季節ごとのイベントや

ハロウィン、お友達のお誕生日のお祝い、等や

学童で初めて優しい大人に触れ合ったり

家ではやらないようなことが新鮮で楽しかった記憶があります。

 

団地時代の子供の頃の記憶を遡っても

家以外でなら楽しかった記憶がほとんどなことに気づきました。

周りの環境に恵まれていたので、たらればにはなりますが

この後引っ越さなければ、今ほど拗らせていくことにはならなかったのかも、、?

と思ってしまったりもします。

 

団地時代の家では、

・門限を1分でも過ぎると家に入れてもらえず泣き叫び扉を叩く→長すぎて近所から心配されることが度々

・勉強机の上が散らかっていて、窓からランドセルや教科書等全部捨てられて泣きながら草むらから探し出す

・買ってもらった鉛筆を片づけていなくてブチ切れられて全部折られる

・とにかく「お姉ちゃんなんやから我慢しろ」と言われていた記憶

対応で覚えているのは全て母で、父の記憶は全くありません。

今思うと仕事かパチンコに行ってたのかな?といった感じです。

 

家よりも外で遊んでいる方が断然楽しいので、

外で遊んでいて日が暮れていくことが「嫌」「悲しい」と思った記憶があります。

 

家の中では母がピリついていることが多く、

既に顔色を伺うように、母の一言一言の言い方で、

その時の機嫌を察知するようにはなっていたと思います。

 

兄妹は4つ下の弟(ボーちゃんみたい)と

6つ下の妹(態度も体もでかい、気が強くて怖い)だったので、

家の中で苦労した記憶があります。

 

 

【小3~引っ越し後】

親がマイホームを購入したようで、

小3の2学期からで、隣の市に転校しました。

前の友達とは自力では会えない距離に、めちゃくちゃ不安を抱きました。

また2学期から、しかも何故か紹介が掃除の時間からという

中途半端なタイミングだったことで

クラスもグループも出来上がっていて、

人見知りで大人しめな私は友達が作れませんでした。

 

ましてや引っ越しは夏休みの初めに完了して

新しい知らない土地を開拓するような勇気はなく

前の学校から宿題の提出が必要ないとのことで

やることがなく、新しい環境への不安も大きかったので

家で子供アニメ劇場を見ながらお菓子とおやつ替わりのおにぎりを

たくさん食べていたら、夏休み期間中で8キロも太ってしまい、

スリムからぽっちゃりに変わってしまいました。

 

今思うとこの頃から既にストレスの発散方法が

食べることだったのかもしれないと気づきました、、

 

新しい学校では活発な子が多く、

私は教室の本棚の本が友達でした。

その後徐々に友達もできて、年が上がってクラスも変われば

グループにも分かれ、遊べるようになっていきました。

 

その頃から頭を悩まされたのは、

弟についてです。

4つ下の弟が小学校に入学したんですが、

とにかくポンコツで、時間割の用意がいつまでたってもできないし

忘れ物は毎日しまくるし、授業中じっと受けられないし

テストの点が悪すぎるし、その諸々ができないことで

私が怒られていて、対応を全部私がしないといけなかったので

毎日頭を悩まされていました。

 

弟が幼稚園までは(ボーとしててあほで可愛いな~)くらいに

思っていたんですが、(この子が社会でやっていくためにはどうしたらいいか)

みたいなことを考えてあらゆる手を尽くしていました。

 

今思うと「なぜ姉の私が全て対応しないといけない?」

「親の仕事では?」とかなり思いますが当時は毎日必死だったので

気づいていませんでした。

 

弟の世話だけじゃなかったし、帰ってきたらやることがたくさんあるし

ご飯も作らないといけないし、片付けないと怒られるし、

妹のお迎えいかないといけないし、、と

学校以外はワンオペ主婦みたいな生活をもうこの頃にはしていたと思います。

小学校高学年くらいになってくると

記憶も鮮明になってくるので、覚えている忘れられないことが

たくさんでてきます。

次の記事で書いていきたいと思います。

 

小学校時代、もう少し続きます。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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その1<生い立ち~幼稚園>環境コンプレックス ♯振り返り

今回は、自分が育ってきた環境と自分が抱いてきた感情を

綴りたいと思います。

自分自身を見つめ直す、人生の振り返りになります。

長くなりますがよろしければお付き合い頂けますと嬉しいです。

 

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【生い立ち】

 

私は、関西の地方で3兄妹の長女として生まれました。

家族構成は 子供時代は父、母、弟、妹の5人家族です。

 

私は大人しめな性格で、父(6人兄弟の長男)と母(一人っ子)

の一人目の子供だったため、祖母祖父からの期待が大きく、

またその当時の田舎らしく、父方の「長男思考」が強い家でしたので

初孫の私が女だったことで母が祖母から大層文句を言われたそうです。

 

この件も合わさって、もともと折り合いが悪かった父方の祖母と母は

疎遠になっていき、お正月やお盆の父の実家に帰る際に

母が一緒だった記憶はありません。

また私自身も、父の実家に良い思い出があったか記憶をたどってみても

思い当たりません。

特に嫌だったのは、父が6人兄弟ゆえに、下にイトコがたくさんいるのですが

みんなで集まった際に、大人が1階のテレビで相撲を見ていて

子供はみんな2階で遊んでこいと言われるのですが(約6~10人)

その2階で、やれケンカだとか誰それが頭ぶつけたとか、おもちゃをとられたとか

そういうことがあると全ての責任が何故か私にあり、

「お前はなぜ面倒が見られないのか」と怒られていました。

 

年の近くない仲良くもない暴れまわるイトコの男の子たちを

なぜ面倒みないといけないのか、そしてなぜ私だけが怒られるのか

理解できず、憤りを感じたことを覚えています。

 

そういった経験により、私の中で

「子供は言うことをきかない、自分にとっていいことがない」

という価値観が生まれ、「子供嫌い」に繋がっていきました。

 

 

父方の祖母の家では、「女だから」「お姉ちゃんだから」という理由で

いろんなことが他の人よりも後回しで、良い思い出がありません。

可愛がってもらった記憶もなく、ただ行きたくないと拒否すると叱られるので

義務感と、お年玉がもらえるから、という理由で行っていました。

お年玉にもエピソードがありますが、そちらについては後に語ります。

 

 

母方の実家についても一旦あとに回しまして、

子供時代について書いていきます。

 

【子供時代~幼稚園頃】

住んでいた家に関しては、

生まれたとき:平屋

→幼稚園が遠くて通えなかったため:団地に引っ越し

→小3で親が家を買い:となりの市へ転校(その家で中3まで)

といった感じでした。

 

うっすら記憶のある団地時代から書きます。

当時、同じ幼稚園で仲良くなった女の子の友達のグループがありました。

家も近かったので、その子たちと毎日のように遊んでいました。

 

その子たちの家に遊びにいったときにすごく思ったのが、

(家の中がテレビで見たおうちみたいに片付いてる~!)

(歩くときに床にモノがたくさん落ちてない~!)

と思ったことでした。

当時から、住んでいる家が片付いているのは見たことがなく、

母は典型的な「片づけられない人」だったと思います。

 

また、友達の中で特にお世話になっていた家族が2家族あり、

仮にAちゃんとBちゃんとしますが、

その子たちとそのご家族には、たくさんのことを教えてもらいました。

例えば、

「お友達のおうちに来たら、お邪魔します、って靴そろえるんだよ~」

とか、

「帰るとき お邪魔しました、って言うんだよ~」とか

 

「ごはんを食べるときは手を合わせて「いただきます」って言うんだよ~」などなど、、

 

また、当時の私とAちゃんとでお友達の家に向かうマンション内のエスカレーターで

<不審者に2人ともお尻を触られるという児童痴漢事件>に遭い、

警察も来て大変怖かった記憶があります。

その際にもAちゃん、Bちゃんのお母さんが泣いている私を

ずっとなぐさめてくれて、「怖かったね、もう大丈夫だよ」と

まるでお母さんのように私を扱ってくれて

そんな風にされた記憶がなかった私はびっくりしたのと

すごく安心してたくさん泣いたのを覚えています。

 

一番感謝しているのが、当時6歳の私が

お箸をバッテンにしか持てなかったのに気づいたAちゃんのお母さんが、

連日ごはんを食べさせてくれて、お箸の持ち方をできるまで

根気よく教えてくれたことです。

 

そういった、今思うと<社会常識では当たり前のこと>を

家や親から教わること、感じることができなかったので、

お友達とその家族から優しくたくさん教えてもらいました。

この出来事たちはいまだに覚えているし、

今思うと、初めて感じた<他人からの愛>だったな、と思い

本当に感謝しています。

この幼馴染のグループはみんな本当に良い子たちで、いまだに仲良くさせてもらっています。

 

 

こういった記憶から、ごく一般的な家庭環境ではなかったと思われます。

その頃の私は、母と過ごした記憶はなく、

また褒められたりといったことも記憶にありません。

気づいたときには帰ったら兄妹の面倒を見ていました。

 

<外に友達と遊びに行っていた><家のことをしていた>

この比率が、小学校に入るとだんだんと変わっていき、

後者の方が多くなっていったように覚えています。

 

次の記事では、小学校時代のことを書いていきたいと思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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自分探しの旅 生きやすさを求めて #依存

 

≪はじめに、自己紹介≫

はじめまして。見てくれてありがとうございます。

のこのこ と申します。30代前半女性、関西出身です。

HSPアダルトチルドレン毒親育ちです。

 

私は、思春期を迎えた頃から、恋愛面において

「メンヘラ」と呼ばれる部類の、恋愛依存だったと思われます。

そして今もなお、向き合いながらも苦しんでいます。

仕事と他人に対してはポジティブになれるのに、

自分のことになるとネガティブが強く、不安定になることがあります。

 

基本的には明るく、友達も多く、元気で笑顔が取り柄です。

周りの友達から良く言われるのは

「明るくて元気な、お姉ちゃんっぽい子」

「おかんみたいに面倒見の良い優しい子」

「彼氏やったらめっちゃいいのに~!」

と、よく言われてきました。

 

ですが、今思えば、「嫌われたくない」が先行している、

自分犠牲で他人優先の考え方にとらわれた

典型的な「良い子ちゃん」系の性格だったと思います。

 

そんな「良い子ちゃんテンプレ」がやめられない、

そして恋愛依存と「生きづらさ」を抱え続ける私の、

「いまの自分」での振り返りと、

いままで経験してきたこと、そして学び続けていることの記録と共有、

少しでも「生きやすい」自分になって、なりたい自分へ

近づいていけるような場に、

また共感やご意見いただくことで客観視ができるようになりたいと思い

文章を書くことは好きなので、ブログを始めてみることにしました。

 

≪なぜいま、ブログなのか?≫

普段は、インスタグラム等のSNSを普通に見ていることが多いくらいの、

SNSに関しては初心者です。

ただ、一人の休みのときの、低気圧等で調子が良くない憂鬱な日とかに

感情をアウトプットしたい気持ちになることがあります。

 

パソコンに感情を垂れ流して書いていることも多々あるのですが、

やはり書きながら、整理して、そう思っていたんだな、と思えたり、

逆に感情的になりすぎてひとりでどんどん怒ってしまったり、

涙がとまらなかったりすることもあります。

 

また、私の場合、人と接しているとどうしても

「気に入られたい」「良い関係を築きたい」が優先されてしまって

面と向かっては本音を言いづらいと感じていたのが事実でした。

 

書き始めると書きたいことがたくさんで、

「文字でたくさん伝えられる、自分のことを知る人がいない、

本音でも吐き出せる場所」というのを求めていました。

 

そこで思いついたのが、学生時代に流行っていた

mixi(ミクシィ)」やDecolog(デコログ)」でした。

あの頃、携帯からの書き込みでブログとして、周りからどう見られるか、を

あまり気にせず、ただなにも考えずに感情を垂れ流していたことを思い出しました。

 

あのときの素直な気持ちで、作らない自分で、文章を書きたい。

と思ったことがきっかけです。

 

≪今後書きたいこと≫

・過去の経験(家庭環境、仕事、恋愛、結婚、離婚、退職etc.)

・親との問題

・経験からの今の私での振り返り

・学んできたこと、戦ってきたこと

・心理学や心に響いた本、言葉

・今の自分と過去の自分

・今後やりたいこと

 

などなど書いていけたらと思っています。

 

完璧主義が強めな私にとって、人様に自分の嫌な面をさらすことは

過去の私では難しいことでした。

でも、完璧じゃなくていい、とそれでもなんとか

前を向いていきたいから、とにかくやってみよう、と

チャレンジの気持ちで書いていきたいと思っています。

 

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よろしくお願いします。